天山酒造
小城市小城町江里口
 文久元年(1861)頃から、祇園川より導水し、水車で精米・製粉および製麺業を始めた。
 更に明治8年、七田利三・ツキが酒造業を創業し、銘酒「天山」を醸造した。利三の長男秀一は酒造業とともに、明治40年5月に素麺製造を始め、製粉・精米の工場を備え、戦後は最新の自動化設備を導入し、県内の需要を賄う程の生産力を有し、高級素麺等を三越や有名料亭「吉兆」へも納入していた。
 二代目秀一は、昭和21年、戦後の農村の復興を夢見、農業リーダー養成を目標として、「天山高農塾」を私財投入をし、開校した。山本有三の「米百俵」の精神のもと、九大や佐大の教授方を招いて農業理論と技術の習得及び精神教育をも施した。しかし、昭和24年のジュデス台風の大水害で校舎や寮等総ては流出してしまい、ついに私力での復興は断念をした。
 導水路と立型水車、明治蔵、大正蔵、昭和蔵等は、国の有形文化財に登録されている。