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小城で羊羹製造の口火を切り、先駆的役割りを果たしたのが、蛭子町の森永惣吉である。創業説には、明治5年説と明治8年節があるが、おおむねこの頃の事と考えられる。明治44年発行の『小城郡誌』によると、森永惣吉は、若い時は人力車夫、肴屋、鰻屋等を商っていたが、大阪虎屋の手代から小豆の煮方の秘伝を受けたことをもとに、羊羹製造の端緒を得て家業としたといわれる。以来、工夫を重ねて明治30年代に白羊羹、茶羊羹の製造に成功した。
羊羹の需要が急激に増加したのは、日清・日露の両戦争勃発で、軍隊の酒保用品として大量に購入され、戦地に送られて好評を博したことによるといわれる。
森永惣吉の創業時の真剣な努力が、小城羊羹の声価を確かなものにしたといえる。 |
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